アニメ「らき☆すた」完結。驚愕の最終話について迫る。

 つい先ほど最終回を迎えたアニメ「らき☆すた」。まだ放送終了から数時間しか経っていないというのに、様々な場所で論争が起きている。最終話である第24話は、それぐらいとてつもなく衝撃的な物であった。
 皆さんご存知だと思うが、簡単に「らき☆すた」の説明すると、「ぬる〜くゆる〜くあるあるネタをメインに女子高生の日常を描いた」原作に、自社パロディを付け加えて話題だけはあったよくあるキャラ萌えアニメである。何故あそこまで流行ったのか、は本件とはさほど関係ないので割愛させてもらう。仲良し4人組の高校3年、そしてそれと取り巻く高1のかわいい女の子がそんなあるあるネタや萌えネタや日常話を繰り広げていたのが第23話までの話だった。これは、原作の1〜4巻(+少し)までを忠実に描いた話であった。最終話は「あずまんが大王」のように卒業して終わり、という訳でもなく日常的なまま終わらせるのだろう、というのが大方の予想だったと思う。しかし、そんな予想を最終話は開始数秒でぶち破ってくれた。
 まず、オープニングから破壊的だった。それまではノリの良い電波ラップソングを乗せた極めてポップでかわいいダンスアニメだった。だが、最終話はまったく違った。いや、正確に言うと素材は同じなのだが、まったく別物になっていた。無音。掛け声が起こるはずの冒頭、まったくの無音から始まった。そして次に起こったのはただの無機質な背景。ダンスを踊っているはずの4人組は居らず、ただ背景が映っているだけだった。そしてあのポップな曲も流れることはなかった。曲は消えただただノイズが流れ、人物は一切消え背景が映っているだけ。視聴者全員が口が大きく開けたまま、閉じられなかったと思う。しかし、そこからの本編が本当の凄さだった。
 画面に映し出されたのは、病院のベッドに横たわり点滴を打ったまま眠っている柊つかさ。そしてそれを取り巻く姉の柊かがみを含む柊家と、高良みゆき。カメラは病室の天井端。姉のかがみが泣いていると見られるがまたしても無音。そのシーンが5分にも及ぶ長まわしで続いた。そして次に映し出されたのは黒背景に白字で「1年前」の文字。それからは卒業式からあの4人組を進路先を説明したシーン。あの4人は無事卒業した後、泉こなたは都内の私立大学、柊かがみは都内の私立大学(こなたとは別)、柊つかさは地元の福祉専門学校、高良みゆきは都内の女子大学へとそれぞれ進学。ここまでがAパートである。
 どうすれば良いか分からない心情のままいつもと変わらないCMは明け、Bパートに突入。ここからが本当の衝撃だった。いきなり泉こなたリストカットシーンが目を覆いたくなるほどリアルに映し出され、目を覆っていると2分後、父親泉そうじろうとのセックスが映し出された。そして、こなたの母でありそうじろうの妻(亡くなっている)であった泉かなたとの思い出を回想するそうじろう。これが数分続き、そうじろうの射精を以って回想から戻りシーンは終了。そして次に映ったのはバスルームで腕から血を流し倒れているこなた。それが走馬灯と共に映し出され、Bパートも終了。
 エンディングはある意味一番奇妙だったのかもしれない。エンディングとしてもってきたのは、従来のオープニングだった。しかし、少し、いや大きく違ったところがあった。泉こなた柊つかさの体が半分透けていたのだ。そしてそれから何のテロップが出ることなく終了。
 長くなったが、これが最終話の内容だ。製作会社である京都アニメーションが何を考えてこれを作ったのかは私は分からない。この最終話について、ネット上では非難の意見が大多数だ。しかし、私はこの革新的最終回を大きく評価したい。何の面白みもなくだらだらとテンプレートをオタクに売り続けまただらだらと同じような作品が生産されているこの現状に、「らき☆すた」は立派に立ち向かったと思う。他のクズ作品と違って、間違いなく後世に語り告がれる作品になるだろう。この「萌え」第一主義の時代に、これだけの物を作った京都アニメーションは、伝説としてこれからも君臨するだろう。私はこの時代にこの作品に立ち会えて良かった、そう強く思う。




らき☆すた 12 限定版